遥かなる君の声 V 32

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          32




 かつての昔、世界は曖昧なまま混じり合っての“混沌”に過ぎなかったが、目映い閃光によっていきなり二つに分かたれた。明と暗、陰と陽、正と負。どちらでもなくどちらでもある、そんな“接点”を境目に、それぞれが真逆の方向へのベクトルを帯びて離れ合い、混じり合うことなど不可能な相反する存在と化し。その“接点”とされたのが、唯一の物質世界、地上界。意志が1つ1つの“個”として存在しつつも、時間の侵食にあってはほろほろ綻んでゆくのを止められず。されど、次々に新しい命が生まれてはその綻びを埋めるから、祝福の風と希望の光が永劫に絶えぬ、流転しつつも絶妙なバランスで調和を取り続けるそんな世界。虚無への滅びと完璧への結晶化と、二つの“絶対”どちらからの影響も残しながら、どちらかにだけ席巻されることはない、何とも伸びやかな場所であり。そんなことが可能なのは、此処が“時間”と“風”に支配されているからで、そうであれとの慈悲深い祈りを込めて、聖なる存在から地上を託された陽白の光を全て、統括し束ねる存在。それが“光の公主”だという。




  「公主様。
   その光弾で…咒力でもって、グロックスの双炎の紋を狙って下さいませ。」

 双炎の紋、フレイム・タナトス。今回の騒動の発端だったり彼岸の主役だったりと、様々な場面で暗躍した“炎獄の民”を象徴し、だが、それを知るものが辛うじてこちらの陣営にいたことから、ただただ翻弄されることなく真相へのヒントにもなった妖しき紋章。今となっては悲劇の人々であったとした思えない“炎獄の民”を、彼らを束ねた宗家の僧正に成り済まし、いいように牛耳り利用した憎っくき闇の者。そんな輩が、その謀略が破綻しそうな今、最後のあがきにと漆黒の宙空へ掲げたる あの禍々しき砂時計にも、それは刻まれており。

  ――― 象徴ならば、何かしら 力も籠もる

 精神修養における“集中”において、初心者には“まずは何かを1つだけ強く思い浮かべよ”という指示が出される。特に注意が散漫な人でなくとも、自己防衛のためのいわば本能から、人の意識というものは常態では ただただ漠然としているものであり。そんな意識を強く堅く絞り上げるのはなかなか難しいことなので、それを束ねて集中する最初の切っ掛け、標的のようなものとして“何か”を定め、それへの集中というその感覚から慣らしておれば、やがては何も思い浮かべる必要などなく集中出来るようになる。彼ら魔導師が唱える咒や、宙へと切る印、弊に描いた魔法陣などなども、ある意味では“手順”だが、同時に“念じ”という意識集中の的となっているものでもあって。そんな手順に用いられた道具に、やがては念が籠もって力を帯び、それが後年“聖なる装具”と化す…のが、大部分の伝説や奇跡の正体だったりもするのだが、そんな検証も今はさて置いて。

  《 …。》

 トランス状態のままの瀬那が、いやさ、その身へと覚醒した“光の公主”が、淡い朱を帯びた瞳を上げると、その視線を引き絞る。額に浮かび上がった銀の粒鉱石も、そこへ灼熱を帯びているかの如く、なおの光を増しており。弾けんばかりの白光がたたえられ、真白い額との輪郭がとうとう光に呑まれたその刹那、


  ――― 燦っ、と。


 彼がその懐ろと額から織り出した光の繭玉が、いきなりその威容を増し。小さな恒星のように煌力を上げるや、猛禽の羽ばたきを思わせる、それは鋭い滑空にて。宙を…微細な抵抗をして見せたのだろう空気さえ邪魔だと引き裂き、純白の聖光で空間を塗り替えながら。彼らと相対していた老爺が立つ尽くす、闇の満ちたる間口へと、剣戟の鋭角おびて斬り込めば。

  《 ぐあ…っっ!!》

 不吉なことへの象徴にして、負世界からの召喚に必要な道標。そんな忌まわしい小道具だったグロックスは、襲い来た灼光により、その鼓のような形をした造作の底部を上から下へと貫かれ。それを支え浮かべていた僧正の杖の先から高々と弾け飛ぶと、

  ――― 誰の意識も追いつけぬほどの呆気なさで、

 まずは枠が砕け、ガラス器の部分にも光が溢れ返ってのそのまま…パンッと弾けて、陽の残光が照らす真白な空間へと四散した。

  「あ…。」

 それが終焉だというのなら、何とも呆気ない幕切れだった。それなりの力を、闇を滅ぼす覇力を帯びたるものとはいえ、光の繭玉に弾き飛ばされただけで、こうも脆く砕けるものか。そこに居合わせた誰もが…まだ余光が滲んで仄明るい、閑として静まり返った空間をそろそろとまさぐって、本当にこれだけで済むものなのかと、妙な言いようながら不安になりかかったそんな矢先に、

 《 ぐあっっ!》

 先程は杖を弾かれての悲鳴を上げた、僧正に化けし闇の者たる老爺が。今度は…何物かに突き飛ばされたかのように膝を折ってのへたり込み、そんな胴間声を上げている。はっとして見やったその先で、

 「な…。」

 蛭魔でさえ、それを理解出来ずに声なく立ち尽くしてしまったのは。何もない空隙に“裂け目”が出来ていたからだ。虚空に穿たれた、四角い縁取りの奇妙な穴。強いて表すなら、唐突に宙へと浮かんだ、微かに虹色の薄い紗の垂れ幕のような見目のもの。何の支えもないまま、宙空に浮かび得るものと言ったら、そういう幻しかあり得ないはずで。

 ――― だが、それは間違いなく…別の空間との境目が裂けた口なのだと、

 蛭魔や葉柱、導師には肌合いで判ること。次空跳躍などという空間跳躍をこなせる身だから、旅の扉という聖域同士を直で結んで移動をこなせるスキルがある身だから。それをそれだと知る感応を持ち合わせており、しかも、

 「…こんなに強ぇえ圧が垂れ込めてる次元って。」

 ずんと前の、暴走して闇雲な次空跳躍を図ったセナを葉柱が追った時や、アケメネイへの旅の辺りで触れたことだが、単なる瞬間移動にて彼らが通り抜ける境界も、細かいことを言えば結構な抵抗をくぐり抜けることとなる。それもそのはず、本来ならば時間という制約をクリアしてこそ到達出来る遠隔地、その“時間”を無視してという“無理”を押し通す、結界移動なればこそ、特殊な咒力が必要であり、体力も少なからず削られる…という理屈になるのだが。そういった移動で体感出来るだろう抵抗なぞ、物の比ではないくらいの凄まじい圧が、その裂け目からは滲んでいるのが判る。底知れぬ深さに見ているだけで吸い込まれそうになる色合いの漆黒は、何物をも呑んで粉々の原子にまで解いてしまうという虚無海の色。亜空を何重にも…何百何千もを折り重ねて凝縮して生まれる、それは重い磁場をその身に呑んだ途轍もない力、精気を帯びているが故。細かい放電が放たれては龍のような稲妻の光に象
かたどられ、間断なく弾け続けており。
「…次元が、レベルが違う。」
 こんなにも容易簡単に、何の意志の力みも帯びないまま、そちらとこちらが互いに見通せよう口が開いたほどの力。こちら側へと雪崩込んで来たなら、有無をも言わさずの一気に世界中の隅々まで行き渡り、あっと言う間に制圧してしまうだろうほどもの強靭な精気の圧が、今にもはち切れそうになっている、こちらへ溢れ出しそうになっているのも判るから。それに意を呑まれて、呆然としてしまった蛭魔であり葉柱であったりする。これは正しく、


  「………負界の精気、か?」


 あの“道標”を砕いても、もはや間に合わなかったというのだろうか。闇の眷属、虚無とかいう覇王の直属の実力者が、こんなにも間近にまで到達していたということか。陽界との境目をこうまで呆気なく侵食してしまえるほどもの力を持つ、そんな格の存在が、こうまで迫っていたということか。

  「…くっ!」

 間に合ったと思っていたのに。あの忌々しき老爺の翳した道標さえ砕けば、こちらへの侵入は不可能だと踏んでいたのに。近寄るだけで通過が可能なら、どうしてこれまでこの覇力を発揮しなかった? もしやして負世界の者とは、意志持つ存在ではなくて。単なる膨大な力の塊に過ぎなかったとか? 誰ぞ野望持つ小物が呼びかけて初めて、その進攻を起こす存在だったとか? あまりの突発事態に、ついつい…そんな始まりのところまでを紐解こうと、意識が翔け戻りかけた蛭魔だったが、


  《 ハノン・シュバルフ・エノムグ・トゥルス。
    フリュッセ・エクアノン・アウフムーラ・シェルド。》


 淡とした声にて刻まれる咒詞に気づいて、ようやっと我に返れた。グロックスを砕いた光の繭玉は、細やかな光と化してこの窟内に満ちており、その聖なる力が…後になって思うに、このとんでもない裂け目を誘発しもしたのだろう。ただ、道標を砕くだけでは意味がないと。まだ寄り代への召喚が通じてもないうちから、この空間を満たし、陽界の聖の気脈を相殺していた闇の力。今にも此処へ招かれんとしていた相手を、途轍もない影響力を滲ませていたほどもの存在と見做した“光の公主”としては、そのままこの陽界の間近に居座らせておく訳にはいかないということか。しなやかで伸びやかながら、まだまだ少年の域を出ぬ、頼りなげな造作の双腕を前方へと伸ばし。細い指、力強く張って、何物かを押さえ込むような所作を見せつつ、咒詞を紡ぎ続ける“光の公主”であり。純白の光を帯びたその肢体はあまりにか細く幼くて、決して力づくでの圧倒や威厳などが適うそれには見えないものが。

 「…。」

 背後に立つ、白き騎士殿がゆるやかに広げる腕の中にあっての、その表情の何と静謐で落ち着いた威容に満ちていることか。トランス状態にある故に、当人の意識あっての護りへの信頼かどうかは定かではなかったが、それでも、
「…聖剣が。」
「ああ。」
 異国の裾長な道着という見慣れぬ装束のままながら、進がその頑健な作りの拳に握ったままにしている聖剣と、それから。逆の腕、その肘近くに装備した…あのアクア・クリスタルを鋳込んだ剣が変化した青の楯とが、柔らかな光の膜を生み出している。小さなセナが覚醒したことでその身にまとう、襟の高い、光で織ったような純白の、光の公主としての衣紋の上へと、ゆったり波打ち ひるがえっており。セナをやさしく包み込みながら、それと同時に…彼がその身から放っているのだろう、聖なる陽白の力の流れを示唆しているかのようでもあって。

 “だとすれば…。”

 その光の長衣
ローブが徐々に徐々に嵩を増しているのは。先程から紡がれし咒詞の、詠唱の声がどんどん高まっているからであろう。蛭魔も、葉柱にも覚えのない種類の咒。蛭魔が金のカナリアとしての覚醒状態のままなれば、その意味が把握出来たかも知れぬ、過去から授かりし“陽白の咒”であるに違いなく。その咒詞の向かう先、闇の咒の気配濃い、不吉な次空の裂け目が、

  ――― 轟っ、と。

 それへの抵抗からか大きく揺らぎ、窟全体が地盤ごとぐらぐらと打ち震え出す。こんな地中にいては落盤に遭って埋まりかねない、そんな大きな地震を思わせるような、それは居心地の悪い不吉な振動であったけれど。不思議と。セナの周囲に垂れ込める気配は、そんな不安をも相殺してしまう力に満ちて暖かく、

  《 ウスリム・シュゲツ・マガメノム。
    アウフティーゲ・ユグノウ・エンカッセ・マルスっ!》

 やや離して翳されていた両の手が、最後の1節と同時に重なるや、そこから一気に放たれたは…形ある鉄槌にも等しき生気の束、目映いばかりの光弾一閃。放ったセナ本人の身さえ、後方へと押し退かしたほどもの強き反発で。前方目がけて弾き出された光の一閃は、例えるなら槍か銛のように、鋭さのみならず力強い重さも孕んでのそれであり。そこへと加えて、

  ――― 哈っ!

 セナの詠唱に合わせての深い集中から同時に刮目した進の、両腕の装備のそれぞれからも。光のベールが後押しをするかのように追随し、先をゆく光弾の周囲、躍るように取り巻いてその威圧の丈を、厚みを増させる援軍となり。


  風を裂き、空を斬り。
  鋭い螺旋を描きし灼光を帯びた、
  それは威勢ある光弾の、
  重くも鋭き切っ先が。
  不気味な虹色を滲ませた虚空の裂け目、
  負界からの来訪者のまといし気配へと、

  深々と抉り込む。




   ――――― 刳剔っ、斬っっ!




 どれほどの存在だったのかは、光の公主が御力により、最初から最後までその鼻面を圧し止められていたままだったので、四散した今や測ることさえもはや不可能。…そう。そこにその裳裾を覗かせただけの段階で、もしかしたらば世界一諦めの悪い蛭魔へさえ、この世の終焉を悟らせたほどもの存在が。

  ――― 小さな光の公主の御手から、
       聖なる光の銛、叩き込まれてそのまんま、


       蒸散して果てたのである。











 
←BACKTOPNEXT→***


  *そう簡単に終わっては申し訳ないような気がしての、
   なかなか鳧がつかない仕立てになってしまってすみません。
   セナさま、頑張っております、はい。